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四季当番

好きな同人声優の話。

中学生くらいからASMRというジャンルには触れており、その頃に耳かき配信をしていた思ちぽさんの作品を今でもほとんど追っている身だが(youtubeは追ってない)、未だに感想を本人に届くように書いたことが無い。

ちゃんと名前を出してツイートやレビューをした方が声優の方への励みになるみたいだが、本当に良かった!と感じた時でも、気持ちの問題で書くことが出来ない。

この気持ちの問題、めちゃくちゃ気持ち悪く書けば、有象無象になっている自分が切なく見えてしまうからという理由になってしまう。これは同人音声コンテンツに限らず他の趣味においても同様で、Twitterのリプやyoutube掲示板などでコメントを書き込むこという行為は、自分がそれを好んでいればいるほど出来なくなる。多分これはガチ恋みたいなのでは無く、自身の心の底からの感情を詰め込んで書いた文章が、他の人のコメントと並列化されているのを見ると途端に陳腐に見えてしまう(実際陳腐になっている)からだと思う。自分が書き込まなくても良いんじゃないかと思ってしまう。

だから例えば、そういった意味で可視化されなければ良いので、直筆で感想の手紙を送るとかの方がまだ躊躇わずに伝えられると思う。

また、同様の理由で今はyoutubeでの配信なども見ることが出来ない。自分で書いてて拗らせすぎだと思ってしまうが、こういう気持ちは対象が人間以外であっても生まれる。1つ例を挙げると、私は子供の頃から競馬を見るのが好きで、当然めちゃくちゃ好きになる馬が現れるのだがそのことを公にしたくない。毎回1人で単勝馬券を買って集めたりパドックを見たりレースを見たり動きの一つ一つを何度も見返すだけ。牧場に行って触れ合える機会があっても1人じゃないと精神的に行けない。これ、同人音声買って一人で何回も聞いて楽しんでるのと同じ。

 

そもそも人のファンをやるというのが個人的に凄く体力の使うことで、インターネットでは専らROMっているし、中学を卒業してからはネット上の自分はいなくなってしまった。つまりはネットで知り合った関係とかが現在の自分には全く無い。ちぽちゃんの配信、コテハンはちょこれーとで、時期はちょうどドーテーテイマーが出た辺りだったはず。視聴者は100人ほどで、コメントはお馴染みのメンツといった感じだった。その頃も勉強しながら聞いていたのだが、やっぱり忙しくて次第にコメントしなくなっていった。そして、私も配信をしたことがあるから分かるが、普段何回もコメントする人がいなくなると配信者側は 今日は来てない という認識になってしまうので、ちょこちゃん今聞いてないと思うよみたいなことをね、言われてしまって、ちょっと申し訳ない気持ちになっちゃったから、なら自分はもう受動的に楽しもうかなと、インターネット全般に対してダウナーな態度で接するようになった。おつコメくらいは出来たかもしれないが、snsが疲れると思ってしまった以上そういうのもやらなくなった。ごめんなさい。

そもそも、自分は他人に共感を求めるという感性をあまり持ち合わせておらず、本人(音声作品であれば声優やサークル)にさえ届けばいいので、他の人間に自分の感想を見られることに抵抗がある、なんなら誰にも見られずにいたいと思う。

 

というわけで、インプレッションが限りなく0に近そうな媒体で綴る、完全な娯楽に対して疲れたくないだけな人間による感想を連ねようと思ったのですが、好きなところを細かく言うのも個人的には嫌だと....

 

イントネーションや声質に包容力的な要素が付随しているのが断トツに魅力的。全く誘い受けでないシナリオでも、聞き手に問いかけるセリフの語尾に含まれたリアリティさによって自然に脳に溶ける感覚が癖になってしまうのでズルい。その点でジト目クール系は何度も聞いてしまう。上手いし。セリフ間の息の漏らし方が上手い。サークル側のシナリオとのシナジーかもしれないが、耳元から正面に変わったときのタイミングと演技が都度素晴らしくドキドキする。感嘆詞の吐息含有量が多いので体が反応して動いてしまう。強すぎ。インスライナーさんから作品が出たときは声を出して喜んじゃった、痕つけて凄く嫌な気持ちになってるところとか、素なんじゃないかと思うほどで作品全体に対して相当マッチしていたし(前トラックで顔にかけたりラグにかけたり破れたりという段階を踏んだ上でのことだし)特別感が味になっていて素敵。ノーガードなシナリオが有意義なのもあるけれど、聞き手にそれを体験させてくれる感覚があるっていう中々満足度の高い音声。丁度いい具合の罪悪感の掻き立て方、割とR18音声で得難い感覚だったのでこんな楽しみ方まで出来てとても良かったと思える作品だった。これに限らず、心惹かれるものに備わっている色気、音楽の休符みたいな空白的な間に在って、それを演技の中で自然と(自然に感じるように?)組み込んでくるおかげで、飽きずに何度もリピートしてしまう。自分の心臓の音も含めて音声作品だなって思っちゃった時点で僕の負け、今でも切っても切り離せずに聞いてしまう声。本当は好きなところ1000個言うまで...なところですが、恋文みたいな気分になってしまうので終わり。これからも応援してます。

 

そもそも呆れた感じがどうしようもなく好きで。もしこの気持ち悪い文章が目に入ってしまったなら、せめて呆れてほしいななんて思いながら書き終わりにしたいと思う。思い付きでばああああっと書いたため文章になっているか分からない。ドキドキしながら書いた。めちゃくちゃ恥ずかしい